小竹

長崎街道

間の宿・小竹

長崎街道の飯塚宿から木屋瀬宿までは4里18町(約17.6km)です。これは筑前・福岡藩内を通る長崎街道の6つの宿場町「筑前六宿ちくぜんむしゅく」において、最も長い宿場間距離です。そのため、この間には小竹と直方という二つのあいの宿ができました。間の宿とは、人馬継立や飲食の提供のみを行い、宿泊はない町場をいいます。現在、小竹は福岡県鞍手郡小竹町に位置します。

直方は福岡藩の支藩「東蓮寺藩」の城下町でした。小竹はその東蓮寺藩に所属し、地域最大の村として栄えました。東蓮寺藩はのちに廃藩となりますが、直方も長崎街道の間の宿として栄えることとなります。直方についてはこちらをご覧ください。

小竹 散策

今回の散策はJR鯰田なまずた駅からスタートです。長崎街道を北上し、間の宿・小竹を通って直方城下町の尾崎口御門跡までの散策です。

飯塚宿から木屋瀬宿まで長崎街道はおおむね遠賀川沿いを進みます。同じように国道200号線とJR福北ゆたか線が並走しています。ここを歩いていると雄大な遠賀川と山々が広がる風景を堪能することができます。

JR線と遠賀川沿いを進む街道の風景

① JR鯰田駅

さあ、ここから出発です。駅を出てすぐ向かいには大行司神社があります。

JR鯰田駅
大行司神社

② 皇祖神社

鯰田駅のすぐそばに立派な神社があり、行ってみると皇祖神社という神社でした。祭神は玉依姫命・応神天皇・神功皇后です。その隣には須賀神社があり、境内には多くの末社がありたいへん由緒のある神社なのだと思います。

皇祖神社
「皇祖神社」の大きな額

③ 鯰田渡交差点

鯰田駅から西へ進み鯰田大橋という橋を渡ります。そして鯰田渡なまずたわたしという交差点に出ます。渡しという名前から、かつてここに船渡し場があったのでしょう。

写真では信号のある交差点の道が国道200号線で、長崎街道はこの国道200号線と並走しています。写真のように交差点の一つ手前にある小さい道が長崎街道です。矢印のように曲がりましょう。

鯰田渡交差点

なお、飯塚宿からこの鯰田渡交差点までの散策はこちらをご覧下さい。

④ 高聖奥之院地蔵堂

街道は遠賀川の土手道を進み、福北ゆたか線の鉄橋を過ぎたあたりで住宅地へ進みます。古さを感じる住宅地には高聖奥之院地蔵堂があり、たくさんの地蔵がずらりと並んでおり昔の人の信仰心を感じます。

緑色の鉄橋が福北ゆたか線
街道沿いの住宅地の風景
高聖奥之院地蔵堂

⑤ 貴船神社

街道は住宅地を抜け目尾しゃかのお交差点に出ます。その手前に200号線を横断する形で参道があり、貴船神社があります。

貴船神社・鳥居
貴船神社

⑥ 目尾交差点

目尾しゃかのおと言う、変わった名前の地域です。写真では、交差点を右から左へ街道は続きます。

目尾交差点

⑦ 彦穂神社

200号線沿いに建つ立派な神社があり、そちらに向かうと彦穂神社です。説明板によると、1229年に勧請されたときは狩子八幡宮とよばれ、室町時代には狩子大明神、彦穂神社となり、名前の変遷があったようです。境内にはほかに大行司神社、須佐神社があり、この地域の守り神として厚く信仰されていた神社だったと思います。

彦穂神社
大行司神社
須佐神社
「大行司」石塔

⑧ 郡境石

目尾交差点から街道を進むと、JR踏切のあたりに郡境石があります。石柱の二面にそれぞれ「従是北鞍手郡」「勝野村」と彫られています。勝野村とあるのは勝野村の人がこの石を立てたことを意味しているといわれています。

郡境石

⑨ 峰畑地蔵

街道はそのまま直進しますが、峰畑地蔵に向かうため郡境石のある踏切を渡ります。看板には「石炭地蔵」とも書いてあったため、石炭と何かしら関係があるようです。

踏切を渡った地点からの風景
峰畑地蔵

⑩ 小竹六地蔵

さて、さきほどの郡境石から間の宿・小竹の街並みが続きます。まずは地蔵や石仏が取り囲むように並ぶ地蔵堂です。この空間だけ俗世界から隔絶されたような美しさがあります。奥にある六地蔵は寛延三年(1750年)遠賀川から流れついたものを、お告げとして村人が引き上げて祀ったものだといい伝えられています。三体の地蔵菩薩が二組あって六地蔵となっています。

地蔵堂の風景
六地蔵

また、入って右側の壁面の一部にお釈迦様の涅槃像がありますが、これが普通とは異なり、左脇を下にしたもので大変珍しいお姿なのだそうです。涅槃像はこれだけ数がある中なので見逃しやすいです。

釈迦涅槃像
芭蕉句「うき我をさびしがらせよかんこ鳥」・庚申塔

⑪ 龍徳屋

龍徳屋は小竹町の有力商家・原田家の屋号です。現在は酒店となっている龍徳屋には「長崎街道 小休所跡」の石柱が建っています。さて、この龍徳屋は長藪騒動(竹藪騒動)という事件と関わりがあります。長藪騒動とは次の通りです。

正徳3年(1713)5月10日の深夜、馬に乗って薩摩から江戸へ向かう二人の薩摩藩士がおりました。小竹を過ぎ「奈良津ならつの大藪」とよばれる竹藪を歩いていると、土手で盗賊に襲われてしまいます。

内田仲左衛門は刀を奪われるも脇差で応戦。三人を斬り二人を追い払いますが、負傷してしまいます。もう一人の海江田次郎兵衛は荷を木屋瀬に届けて無事でした。負傷した仲左衛門は直方城下に向かいますが、門番に深夜を理由に拒否されてしまいます。やむなく小竹に引き返した仲左衛門は、龍徳屋の原田家に介抱されました。

翌日、事件の顛末を知った直方藩は犯人の糾明を始め、薩摩藩との関係修復に努めます。

長藪騒動

この事件以降、薩摩藩士の武勇は称賛され、薩摩島津家はこれを吉例として参勤交代の際は龍徳屋を小休み処としました。佐賀鍋島藩や久留米有馬藩もこれに倣ったため、小竹が発展する契機となりました。内田家と薩摩藩との交流は明治まで続いたといいます。

龍徳屋

⑫ 貴船神社

小竹の鎮守の神社です。奉納行事として祇園山笠が隔年七月に開催され、山笠が小竹の町を練り回ります。山車を上下に揺さぶったり車輪を軸に回したりといった独特な動きが特徴のようです。境内には天満宮や多くの神様が祀られている規模の大きい神社です。

貴船神社鳥居
貴船神社拝殿

⑬ 小竹区公民館

貴船神社のすぐ隣にある公民館。明治・大正の小竹の街並み図や各スポットの写真が飾られた休憩所です。パンフレットもあるので入手しましょう。

小竹区公民館

⑭ 龍屋寺

文永元年(1364年)創建の曹洞宗のお寺です。福岡市にある安国寺の末寺で、黒田藩が参勤交代で休憩をとる際に使用しました。

龍屋寺

⑮ 為貝家

龍屋寺の向かいにある為貝家の家屋は漆喰の白壁で、ひょうたんの形をした虫籠窓むしごまど鏝絵こてえとして珍しい芸術品なのだといいます。この面白い形が強烈な印象として私に残りました。小竹の特徴的な風景です。

為貝家

⑯ 切り株跡

さらに街道をすすむと、写真の交差点に出ます。写真のように正面左の道を進みます。

切り株跡付近の交差点

すると曲がり角のところに案内板があります。ここはかつて小竹の北入り口にあたるところで、目印として「シンジュ」とよばれた榎の木が三本植えられていたようです。平成十年ごろには切られてしまい、現在は切り株すらありません。

切り株跡
かつてのシンジュの木(案内板)

⑰ 十三仏

街道は切り株跡で間の宿・小竹を後にして進みます。小竹町役場の裏を通って再び200号線の土手道を進むことになるのですが、その前に役場の横に十三仏があります。小竹町にはこのような十三仏を古くから祀る風習があるようで、町内には全部で15か所もあるとのことです。

十三仏

⑱ JR小竹駅

小竹の先も写真のように遠賀川の土手道が続きます。

街道の風景
JR小竹駅

⑲ 勝野村役場跡

JR小竹駅を通過し、さらに土手道を進むと、左手線路側に開けた空間があります。よく見ると石柱が建っており「勝野村役場跡」「勝野村会議事堂跡」と刻まれていますので、かつてそこにあったのでしょう。

勝野村役場跡

また、読みづらいですがおそらく「御徳橋」「大正三年六月架設」と刻まれた親柱もありました。現在の御徳橋はこの場所から50mほど南の遠賀川を渡す橋なので、その前身となる橋の一部なのだろうと思います。

御徳橋の親柱
周辺の石仏・お堂

⑳ お堂

遠賀川沿いをひたすら進むと左手にお堂がありました。

お堂

㉑ 風景A

写真の地点で矢印の方へ進みます。

左折地点

㉒ 風景B

風景Aで土手道を下り、高架下を通って踏切を渡ります。このあたりは南良津ならつというところです。写真は踏切を渡った地点で、左からは南良津川が流れているのですが、それを渡す橋まで進みます。街道は写真の田畑を突き抜ける形で通っていたようですが、現在は進めませんので写真の舗装された道を奥へ進み、突き当りを左へ進みます。

奈良津の風景

㉓ 南良津の唐戸

「とんとん唐戸橋」という写真の橋を渡ります。この裏に南良津の唐戸があります。

とんとん唐戸橋

唐戸とは水門のことです。洪水に悩まされていたこの地を改良するため、寛永六年(1629年)黒田藩は堤防を築く工事を行います。唐戸は水量を調節したようです。

南良津の唐戸

㉔ 須賀神社

唐戸を後にして南良津川に沿って街道を進むと、そばの山に須賀神社があります。見晴らしのいいところに鎮座している神社で須賀宮・天満宮の二つのお社がありました。

高台にある須賀神社
須賀宮・天満宮

㉕ 籠立場跡

山裾の住宅地を進みます。街道らしく、くねくねしており道幅も当時のままでしょう。道中、籠から降りて休憩する籠立場跡があります。

勝野の街道筋の風景
籠立場跡

㉖ JR勝野駅

JR勝野駅

㉗ 岩鼻

JR勝野駅を右に山裾の道を街道は進みます。そして写真の地点で踏切を渡ります。この踏切の左側が岩鼻といい、かつては山裾の岩山が川の方までせり出し、通行の妨げになっていました。現在は切り通しとなって電車が通っています。車道も岩鼻を沿って通っています。街道は車道を通って岩鼻を通過し、再び踏切を跨いで山裾の道を進みます。

岩鼻踏切
線路敷設のため切り開かれた岩鼻

㉘ 貴船神社

街道は山裾を進み、線路に近づくあたりで貴船神社が見えます。今回の小竹の散策では貴船神社が多くみられました。何か意味があるのかもしれません。

貴船神社

㉙ 風景C

貴船神社を後にして、踏切を渡ります。渡ってすぐ左にある写真の細道が街道です。

この道を進みます。

㉚ 尾崎口御門跡

さて、ようやく直方城下町最南端の入り口に到着です。写真のような土塁で洪水を防いでいました。この尾崎口の御門は城郭の出入り口のような厳重な姿をしていたようです。先述した竹藪騒動で内田仲左衛門が門番に断られて引き返したというのはこの門のことです。

尾崎口御門跡

この先、直方の散策はこちらをご覧下さい。最後まで読んで頂き有難うございました。

参考

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