水運で栄えた木屋瀬
木屋瀬宿は北九州市八幡西区と直方市とのちょうど境に位置します。遠賀川が脇を流れ、長崎街道もこれに沿っています。遠賀川沿いの町が年貢米や石炭などの水運で栄えたように、木屋瀬もその恩恵に授かっていました。

加えて木屋瀬は、福岡方面へ向かう際の分岐点でもありました。川を渡って西に進むと植木という地域があり、さらに西へ進むと赤間に通じ、唐津街道に接続します。
写真は大分県の宇佐八幡宮から福岡県の香椎宮を結ぶ勅使道です。木屋瀬を経由していたことが分かります。

なお、直方から木屋瀬宿までの散策はこちらをご覧下さい。
木屋瀬宿 散策
木屋瀬宿は筑前六宿の一つとして栄え、街の通りが「へ」の字型をしています。特徴的なのは西構口の石垣が残っていることです。木屋瀬宿は観光資源として多くの白壁の家屋が保存・修復されています。このように街全体が整備されている宿場町は数少ないです。
散策の始点は西構口跡、終点は東構口跡としました。散策日は2月16日(水)。曇り空で雪が時折吹き付ける中での散策となりました。宿場町には見学者用の無料駐車場がいくつかあります。
① 西構口跡・追分石
宿場の入り口に設置された構口。現在は石垣のみが残ります。私が知っている限り、このように残っているのは他に山家宿(長崎街道)・青柳宿(唐津街道)・松崎宿(薩摩街道)しかなく貴重です。山家宿には当時の姿をした構口が復元されており、石垣の上に漆喰の壁、その上に瓦葺の屋根という姿をしています。木屋瀬宿の構口もきっと同じだったはずです。

左に進むと遠賀川の渡し場です。構口の前には追分石があり、「従是 右赤間道 左飯塚道」と刻まれています。赤間街道とは木屋瀬から赤間へ通じるルート、飯塚道とは長崎街道です。本物の追分石は木屋瀬記念館にあります。


② 興玉神社
興玉神社は正徳五年(1715年)創建の神社で、猿田彦神社ともいいます。旅の安全を守る猿田彦神が祀られています。

③ 渡し場跡
興玉神社から遠賀川の方へ出ると、かつて船渡し場があったところです。

④ 村庄屋跡
村庄屋は村全体を統括します。

⑤ 旧高崎家
江戸時代末期の商家・高崎家の住宅。絞蝋業、醬油醸造業などを営んでいました。屋号を柏屋カネタマといい、その五代目に生まれた伊馬春部(高崎英雄)は昭和に活躍した放送作家として知られています。一般公開されおり、私が訪問した時期は「長崎街道ひなまつり」で、ひな人形がたくさんに飾られていました。今回の散策で最も色鮮やかな場面でした。


⑥ 妙運寺
妙運寺は日蓮宗の寺院です。

⑦ 護国院
明応二年(1493年)源水によって創建され、火災病難にご利益があるとして参詣されました。

⑧ 船庄屋跡
木屋瀬には年貢米の集積場が置かれ、それを輸送する24艘の「川ひらた」という川船を管理するのが船庄屋です。船庄屋の梅本家は屋号を油屋シモヤマとし、酒造業・醬油醸造業を営んでいました。


⑨ 代官所跡
代官所跡は奥まった場所にあり、一般の住宅の区画線上に石垣が残されています。

⑩ 長徳寺
長徳寺は浄土宗のお寺です。境内には六地蔵、墓地には豪商・伊藤宗伯のお墓があります。

伊藤宗伯は遠賀川水運を利用しながら海外と交易をおこないました。ちなみに伊藤宗伯と同じ家系の博多商人・伊藤小左衛門とその父は、オランダ・ポルトガル・中国・朝鮮と海外貿易し、高利の銀融資を行うなどして多大な財を築いたことで知られます。しかし密貿易をおこなったとして財産は没収され、寛文七年(1667年)長崎で処刑されました。

長徳寺から須賀神社に至る小道「長徳寺小路」には弁財天もあります。

⑪ 須賀神社
須賀神社は祇園社と江戸時代まではよばれていました。永享年間(1429~1441年)に勧請され、寛永二年(1625年)に伊藤宗伯によって再建されています。毎年7月に行われる「木屋瀬祇園宿場祭り」では山笠が町中を練り歩きます。二台の山笠が境内に走りこむ様子が見せ場だそうです。
また期間中、木屋瀬盆踊り(宿場踊り)も行われます。これは木屋瀬の人が伊勢参りをした時に見た伊勢音頭と参勤交代の大名行列の仕草や掛け声が元になっているようです。




⑫ 西光寺
西光寺は天正10年(1582)創建の浄土真宗の寺院です。

⑬ 木屋瀬記念館・里程標
道が大きく曲がる辺りにあるのが、木屋瀬の歴史が丸分かりの「みちの郷土資料館(木屋瀬記念館)」です。資料館のある宿場町は数少なく、その場で詳しく学べることは有難いです。他に「こやのせ座」という多目的ホールなど複数の施設があります。かつては大正座とよばれる芝居小屋があったようです。この周辺には、御茶屋・町茶屋という藩主や大名が宿泊する施設(本陣・脇本陣)がありました。福岡までの距離を示した里程標も立っています。


⑭ 問屋場跡・郡屋跡
運送手段の人足や馬を揃え、配送する荷物を取り扱う問屋場、郡内の村役人の集会所である郡屋がこの辺りにはありました。街道に因んだ色鮮やかな壁絵のある「小ちゃな美術館」も印象的でした。



⑮ 永源寺
大永3年(1523年)創建の曹洞宗の寺院です。このお寺の脇にはかつて御茶屋の門に使われていた本陣門が移設されて今も残っています。


⑯ 扇天満宮
室町時代の連歌師・飯尾宗祇が木屋瀬に泊まった際、夢の中で天神と名乗る男から扇をもらい、その後実際に太宰府天満宮で扇を授かったというのがこの神社名の由来です。国学者の伊藤常足が記したこの由来碑が境内に建っています。


それ以前にはこの土地「久保屋敷」から「久保崎天神」とよばれていたようです。久保とは公方のことらしく、6世紀の蘇我氏と物部氏の政争により敗れた物部氏がここに流されたことと関係していると言われます。
扇天満宮の隣の土手には国道を割って立つ大銀杏がありますが、かつては境内にあったそうです。

⑰ 東構口跡
終点東構口に到着です。東構口には石垣は残っていません。写真の白い柵の下には岡森用水路という江戸時代に遠賀川から引き込んだ人工の水路があります。
左の建物は「江戸あかりの民芸館」で、残念ながら定休日で入れませんでしたが、後日黒崎から木屋瀬を散策した際に見学することができました。その様子や散策についてはこちらをご覧ください。最後まで読んで頂き有難うございました。

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