交通の難所「三国坂」
今回訪れたのは長崎街道の原田宿から田代宿へ向かう際に、最初に越えなければならなかった険しい峠道、三国坂です。その名が示す通り、三国坂は筑前・筑後・肥前の国境に位置しており、江戸時代に国境石が建てられました。そして当時の境界線は今もほぼ変わることなく、3つの市・町(筑紫野市・小郡市・基山町)の境界であり続けています。車で国道3号線を走っていれば、福岡県から佐賀県へ入ったとナビが教えてくれる所であり、江戸時代に長崎街道を歩いた人々は筑前から肥前へ入ったと国境石を見て知ったことでしょう。
現在の三国坂は、明治からの開発でかなり平坦になり、その険しさを実感することはなくなりました。国境石付近は国道3号線とJR線が通り、非常に交通量の多い地点です。車や電車だと何事もなく通過してしまうような地点です。

国境争いとその経緯
三国坂は交通上の難所であると共に、国境争いが起こった所でもあります。文化2年(1805)話し合いの結果、山の上に三国の国境を示す国境石が建てられました。これは今も山の中に人知れず残っています。また、文化4年(1807)には筑前と筑後の境を決める協議が行われ、二国境石が建てられました。その後この付近に筑前国であることを示す大きな国境石が建てられました。伊能忠敬がこの大きな国境石を記しているので、1807~1809年に建てられたであろうと考えられています。つまり、この地点には三種類の国境石が今述べた順に建てられたのです。
さて、これら国境石が建てられるまでの経緯についてですが、ページ末尾の「参考」に挙げている書物を基に、ここではざっくり要約して紹介させて頂きます。きっかけは筑前と肥前の境を示す松が枯れたことです。肥前国の田代代官所は、同じく肥前国の城戸村の庄屋へ国境を確定するために筑前国の原田村と交渉するようにお達しを出しました。因みにこの時の田代は対馬藩の所領でした。城戸村の庄屋はここに元々あった三国割塚という塚が崩落しかけているので、それを先に再建し、その後に枯れ松の件に取り組むという段取りにしました。
こうして筑前・筑後・肥前の三者による協議が始まります。筑前からは山口村大庄屋・原田村庄屋、筑後からは三沢村庄屋、肥前からは城戸村庄屋が参加しています。こうした協議には村の庄屋が地域を代表して参加するのですね。文化2年(1805)三国の国境を示す三国境石が建てられました。写真は三国境石が建立されたことを伝える絵図です。筑紫野市の「ふるさと館ちくしの」で見ることができます。

次に枯れ松による筑前と肥前の協議ですが、これは難航しています。松を植え替えると田畑に日陰ができるという理由で石柱を建てることがまず決まります。問題は国境の場所です。筑前国原田村は元禄13年(1700)に取り交わした証文を根拠に枯れ松の位置が国境であると主張。一方、肥前国城戸村は松は万治年間(1658~1661)に植えたもので、それは国境を示すためではなかった。また、永正年間(1504~1520)から当地を相続している梁井家にもそうした記録は残っていないと主張したのです。当時から百年、二百年前まで遡り、証拠となる記録を持ち出す所は、双方の熱意を感じます。国境争いはそれ程重大問題だったのですね。しかもよくそうした文書が残っているものです。過去を受け継ぐ意識が昔は高かったのだと知らされます。
そこで御境目方で早良郡田嶋村の庄屋が協議に参加。枯れ松を除去し、問題となる野地を測量して等分することで妥協しました。すると今度は測量方法で意見が対立。肥前国姫方村の庄屋が協議に参入します。こうして何とか二国境石は建立されたのです。写真はその絵図です。

国境争いが一段落した後に建てられたのが筑前国領を示す大きな国境石です。福岡藩の右筆である二川相近の筆による文字が陰刻されています。基壇を含めると4.5mもあり、福岡藩内最大の国境石とのことです。
三国坂 散策
三国坂にある三種類の国境石ですが、二国境石と大きな国境石は国道3号線を挟んだ向かい側にそれぞれ立っているので簡単に見つけられますが、山の中にある三国境石は、2023年10月現在、見に行くのが困難な状況です。どうやら以前はそこへ向かう通路が存在していたようなのですが、現在は筑紫野温泉アマンディの敷地内に消えてしまっています。
しかしどうしても見たかった私は、周辺をぐるぐる散策してなんとか発見することができました。そのルートは一般道に面した斜面をよじ登らなければならず、足場も悪く手摺もありません。今回の散策ではそのルートを紹介しますが、正直お勧めできないので本当に興味のある方は参考にして下さい。今後、貴重な遺跡を広く知ってもらうために整備されること強くを望みます。
① 三国交差点
それでは散策スタート!車でお越しの際はこの交差点の左側に無料駐車場(約5台分)があるので、参考にして下さい。国道3号線の右手に筑紫野温泉アマンディがあり、左手にJR鹿児島本線が通っています。

② 二国境石
筑前と肥前の国境を定めた二国境石。二つの石柱が背中合わせに立っている構造をしており、その背中合わせの線が国の境界線を示しています。アマンディ側に「従是東筑前国」、JR線路側に「従是西肥前国對州領」と刻まれています。對州とは対馬のことですね。


また、この二国境石の北と南に10m程離れた所に傍石がそれぞれ立っています。二国境石の縮小版で、刻まれた文字や構造は同じです。因みにこれら二国境石は元々、ここから東へ15mの所にあったとのこと。道路建設のため現在の位置に移されました。

③ 国境石
「従是北筑前国」と刻まれた福岡藩内最大の国境石はアマンディの入口に立っています。大きいとは言え、その隣にそれを上回る大木があるので実感が湧きにくいです。

④ 登り口
さて、三国境石へ向かうべくアマンディの裏山へ進みます。ここが問題となる地点です。山の斜面のコンクリートブロックが途切れる所から矢印のように斜面を登ります。足元に注意!


⑤ 筑前側傍石
斜面を登ると、まず筑前側の傍石があります。20㎝程地面から顔を出している状態です。全てを確認できませんが、恐らく「從是北筑前国」「御笠郡原田村」と刻まれていると思われます。折れてはいますがお手製の案内板がちゃんとありました。これに従って進みましょう。


⑥ 三国境石
三国境石に到着です!周りに見える四角い穴には石柱がはめ込まれていたようですが今はありません。基壇と石垣も当時のままです。初めてこれを見た時は興奮しました。とても特徴的で珍しい形をした国境石だと思います。木々を伐採すれば見晴らしはいいでしょう。


⑦ 筑後側傍石
さらに南へ進むと筑後側傍石があります。「從是南東筑後国」「御原郡三澤村」と刻まれています。近くにはアマンディへ続く階段がありました。以前の見学通路でしょう。辿ってみましたが先述の通り道は消滅しています。


今回の散策はここまでです。帰りも斜面を下りる際は気を付けて下さいね。なお、原田宿から田代宿までの街道散策はこちらからご覧下さい。最後まで読んで頂き有難うございました。




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