山間の緑豊かな宿場町
内野宿は福岡県飯塚市の南部・内野にあります。山に囲まれた地域で、南には大根地山とそれを超える冷水峠道・国道200号線とJR筑豊本線が走っており、飯塚市と筑紫野市とをつないでいます。国道200号線は大型トラックがひっきりなしに通るような交通量の多い幹線道路です。
母里但馬守友信から内野太郎左衛門へ
内野宿の建設は、慶長十七年(1612年)黒田二十四騎の一人である母里但馬守友信によって建設が始まりました。しかし彼は同年、大隈に移封になったため、その後を内野太郎左衛門重信が引き継ぐことになり、宿場や冷水峠の整備にあたりました。それまでここは村などなく、鹿などを狩る狩場として知られていました。筑前六宿のひとつとして内野宿を発展させた内野太郎左衛門の功績は大きく、街道筋には200軒もの商家が並んだといいます。

内野太郎左衛門の系譜とたどると、もとは大庭(饗庭)氏で先祖は秋月氏に仕えていたようですが、秀吉がこの地を攻め入ってのち、牢人となりこの地に住みつきました。その後、内野に姓を変えます。彼は黒田長政が筑前の国に入国する際、お出迎えや馬を献上するなどしてお伴になりました。長政の厚い信頼を受けたことでこの地をあてがわれ、自身の名前を地名にしたといわれています。内野太郎左衛門は長政が死去したのち、長政の戒名の一字を贈られ卜祐宗賢と号します。寛永十六年(1639年)内野太郎左衛門が亡くなると、その霊を祀り宗賢寺が建てられました。


太宰府天満宮へも参詣できた内野宿
内野宿は交通の激しい200号線から外れ、山間部であることもあってか開発の手から逃れており、白壁の町並みが多く残り、当時の風景を比較的よく残しているように思います。随所に案内板が立てられよく整備されています。

宿場内の通りはおおまかにT字型をしています。南北に街並みが続いているのですが、真ん中で西側の山の方へ道が伸びており、その通りの先には藩主や大名が宿泊する御茶屋(本陣)がありました。御茶屋のさらに先には数俵峠という峠道があり、これを超えると太宰府天満宮へ向かう米山峠道に合流します。昔は天満宮までお参りに行く際はこの峠道を使っていたようです。「右 さいふ道」と刻まれた追分石が御茶屋へ向かう途中に立っています。


内野宿 散策
JR筑前山家駅からスタートし、宿場を北側から南側へ通過し、宿場を出て関屋までの散策です。
① JR筑前内野駅
スタートとなるJR筑前内野駅は無人駅です。

② 藤井政太郎君頌徳碑
藤井政太郎(1855~1920年)は内野村の人で、郡会議員や内野村長などを務めました。冷水県道を開通させるため尽力し、村の産業となる林業を発展させ、学校や病院・電信局を設置しました。

③ 東構口
内野宿の出入口に当たる東搆口ですが、現在は遺構は残っていません。なお、ここから次の飯塚宿までの散策についてはこちらをご覧下さい。

④ 松屋・郡屋・麹屋
この辺りには昭和初期まで酒造業を営んだ酒屋「松屋」、その向かいには「麹屋」、村役人の集会所である「郡屋」がありました。


⑤ 正円寺


⑥ 薩摩屋・油屋
宿場において大名や家臣の宿泊する施設をそれぞれ本陣・脇本陣と呼びますが、長崎街道の宿場では、大名の宿舎のことを本茶屋、家臣は中茶屋・下茶屋とよびました。中茶屋や下茶屋の屋号は「薩摩屋」「長崎屋」という屋号でよばれることが一般的でした。
写真のJAの建物のところにかつての中茶屋(脇本陣)の「薩摩屋」があり、その隣には旅の荷造りをする際の薦や縄などを売る荒物屋「油屋」がありました。

⑦ 「太宰府天満宮米山越道」石柱・えびす碑
宿場のT字路に立つ「太宰府天満宮米山越道」の石柱と恵比須像。前述したとおり、ここから太宰府天満宮までつながる峠越しのルートがありました。栄梅講・玉梅講という太宰府天満宮を信仰するこの村の組織によって石柱は建てられました。

⑧ 宗賢寺
宗賢寺は内野太郎左衛門が祀られている曹洞宗の寺院で、寺の右側にある丘を登って行くと彼のお墓があります。左の丘には秋葉権現が祀られています。秋葉権現は火除けの守で、宝永七年(1679年)に120戸消失する火災があったのを受けて、宗賢寺の和尚が明和三年(1766年)近江の国から三尺坊秋葉大権現を勧請しました。


⑨ 庄屋山内家跡
庄屋があったところですが、今は井戸跡が残るのみとなっています。

⑩ 内野の大イチョウ
この大イチョウは福岡県指定天然記念物で樹齢500年といわれています。もともとは雌株・雄株の一対の夫婦イチョウでしたが雌株が大きすぎて周囲の田んぼの日陰になるという理由で昭和初期に伐採され、今はこの雄株のみが残ります。木の根元には薬師堂・福部神社、十二仏、猿田彦大神があります。

⑪ 御茶屋跡
今は建物は残っていませんが看板のような立派な建物が建っていたようです。

⑫ 数俵峠登山口
数俵峠の名前の由来はおそらく太宰府天満宮の祭神・菅原道真からきていると思います。いつかこの峠道を登ってみたいです。

⑬ 内野宿展示館
休館日のため入れませんでしたが、この場所に旅籠「肥前屋」がありました。

⑭ 小倉屋
質屋の「小倉屋」で、現在の建物は明治時代前半のものです。

⑮ 長崎屋
下茶屋(脇本陣)の「長崎屋」です。


⑯ 伊藤家
伊藤家は酒屋で建物は明治末期のものです。

⑰ 西構口跡
東構口と同様、何も残っていません。どのような構口だったのでしょうか。

⑱ 老松神社
内野宿を出てすぐにあるのが老松神社です。宝暦二年(1248年)に、この地は太宰府の神領であったため道真の霊を勧請してつくられました。境内にはいろいろなお社や石碑があり、神秘的です。老松神社の右に須賀神社、左に天満神社があります。



⑲ 関屋跡
関屋跡には何も残っていません。ここから先、冷水峠まで国道200号線に沿う形で長崎街道は続きます。


冷水峠の散策はこちらをご覧下さい。最後まで読んで頂き有難うございました。
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