椿の産地
草野宿は久留米市の東部・草野町にあり、耳納連山の北麓に位置します。久留米市は椿の苗木の生産や品種改良の豊富さで知られており、草野には「つばき園」や「世界のつばき館」があります。散策中も道端に咲く椿を多く見かけました。


山苞の道
県道151号線を少し外れれば、静かで落ち着いた山辺の風景が広がります。この県道から1本南側にある道を「山苞の道」と言います。苞とは、藁に包まれた土産物という意味で、山苞とは山からの土産物、山辺の美しい風景を意味しています。

四季を通じて梅・桜・山茶花・柿などが風景を彩るとのことです。私が訪れたのは2021年12月7日(火)の冬でしたが、色付いた葉が鮮やかで、耳納連山が雄大に広がり、余りの美しさに見惚れてばかりでした。宿場町の名残で古い家屋や恵比寿像・猿田彦大神の像が随所に立っていて、それがこの景色と調和してなお美しい。またこの道を歩きたいです。



中世の豪族・草野氏と草野宿
草野は中世に草野氏が居城を構え、城下町として発展した経緯があります。平安時代末期、草野永経が筑後に入国し竹井城に居城します。源平合戦では太宰府の平氏に対して戦い、源氏を勝利に導きます。源頼朝に永経の子・永平が筑後国在国司・押領使に任じられ、この地の支配を確固たるものとしました。草野の寺社は草野氏の援助によって建てられています。詳しくは「③草野歴史料館」で学べますので是非お立ち寄りください。
江戸時代には日田街道の宿駅として周辺地域でも最大規模の町として栄えました。かつての草野宿の中心は、須佐能袁神社から山辺文化会館辺りであろうと思われます。草野郵便局の辺りでは道がクランクしており(枡形)、宿場町の特徴を伝えています。
草野宿 散策
実際の散策では、宿場町だけでなく山苞の道やその周辺を散策しました。ここではその一部になりますが、特に印象に残った須佐能袁神社や矢作地区の古民家群、吉木若宮八幡宮などに絞り、その散策ルートを掲載します。
① 須佐能袁神社
須佐能袁神社は1197年、草野永平によって勧請・建立された旧草野祇園社です。楼門や池付きの庭園があり、大規模で堂々とした造りになっています。


② 専念寺
1204年の開基の浄土宗の寺院です。本堂内部の彩色が九州の日光と言われていますが、内部を見ることはできませんでした。外観はシンプルなので、日光はちょっと言い過ぎではと思いました。けれども県道から見える専念寺は印象的で、白壁に柱の朱色が鮮やかに目に飛び込んで来ます。往時の草野宿の繁栄を象徴する建造物です。


③ 草野歴史資料館
中世の豪族・草野氏の歴史を知れる資料館。建物はもともと明治時代に建てられた草野銀行を昭和に改築したもので、和洋折衷の木造です。この薄い青色が素敵です。係員さんに草野氏について詳しいお話を聞かせて頂きました。有難うございました。

④ 鹿毛邸
1780年頃に再建された草野町で最も古い家屋で、醤油屋・櫨蝋屋・質屋などを営んでいました。家屋が奥へずっと続いている様子が分かります。蔵などがあるのでしょう。

⑤ 寿本寺
寿本寺は、1532年草野氏が開基しました。山門は明治時代に旧久留米城の「水の手御門」を移築したものと言われています。


⑥ 矢作古民家群
この辺りは矢作地区で、伝統的町並み保存地域に指定されています。江戸から大正時代に農村集落として南北に延びる道路を中心に栄えました。特に布積み(整層積み)とよばれる家屋の石垣が見事です。



⑦ 吉木若宮八幡宮
源平合戦の時、草野永平は摂津国の平野若宮社に祈願し功を挙げました。吉木若宮八幡宮は1187年に平野若宮社の分霊を勧請したことに因ります。山の麓を登るように参道が続き、本殿からの眺めは抜群に美しいです。静寂な神社の雰囲気に完全に吞まれてしまいます。ここは異世界です。





最後まで読んで頂き有難うございました。
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